お母さんはわたしのこと愛してくれている?
わたしは小さな頃からわたしは邪魔なんだと思ってた。
愛されてないと思ってきた。
あなたが新しく恋をするのに邪魔だったと思うし
再婚するにも邪魔だったと思う。
前にも話したけど
小さな頃はわたしに嘘ばっかりついていたし
中学生のころ進路の相談ものってくれないし、いじめられていることを頑張って告白しても、いじめられるあんたが悪い、と言われてきた。
だから反抗期だって暴れることになったし、
高校生になってからはあまり家に帰らなくなった。
わたしは甘え方を知らないの。未だに。
でもちゃんと産んでくれたことは感謝してるし、
30になっても40になっても
あなたの子どもであることは変わりないの。
わたしに何もできなくても頑張れなくても
大丈夫だよって帰らせてくれる場所であって欲しいの。
今だって抱きしめて欲しいと思ってるし
甘えさせて欲しいと思っているよ。
お母さんはわたしのこと
愛してくれていますか?
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母へ送ったメール。
引っ越しのやりとりをしてて
ちょっと揉めて
こんな話に。
今週、辛い思い出の方が多い沼津へ帰ります。
今年中には人に頑張るわたしはもうやめるんだ。
自分のために楽しく生きる。
子どもの頃から思っていた。
早く大人になりすぎた。
聞き分けもよく
人に期待もせず
自分が我慢すれば周りがうまく回る、
なんて思っていた。
今思えばなんて自分の力が大きいと思った傲慢な考えなのだろう。
わたしなんかの力で影響させられることなんて多くはないのに。
子どものころからいつも学級委員。
自分が我慢してもクラスがうまく回ればいいと思っていた。
家ではどんなにいい成績をとっても褒めてもらえず、先生がいつも褒めてくれたので、
どんどん「みんなの面倒をみられるいい学級委員長」になっていった。
おかげで自分の道は自分で選び、
自己責任が強く、
人に頼ることも期待することもなく、
1人で生きていける力は身につけたけれど
どんなに頑張ってもいつまでも「自信のない子」
自分のためには頑張れていないから。
20年以上のこの確執を溶かすことができたら
何があっても受け入れてくれる人がいると知れたら
どこまででも行けるし頑張れると思う。
いつかは対峙しなければいけないと思っていて
去年はずっと我慢していた怒りをぶつけた。
「あの時あなたはこんなに酷いことをわたしにしてきた!」
持っている記憶をすべてぶつけたけど
本人は一切覚えていなかった。
わたしが長い間あんなに辛かったのに覚えていないなんて嘘だろと思った。
「そうなの。あなた苦労したのね。じゃわたしが全部悪いのね。もうわかんない。知らない。」
ぷいっと顔を背けてテレビをみた。
「あなたはそうやっていつも本人と話すことから逃げる!」
とテレビを消してこっちに向かせ直す。
辛い記憶をぶつけたけど結局
それからのわたしはそこまで変わらなかった。
子どものころ、
“オトナはなんでもできてすごいやつ”
と思っていたけど
わたしも歳を重ねてわかったことは
人は大人になっても親になっても未熟者である。
母も未熟者。
知ってる世界は狭いし
人の気持ちはわからないし
料理はいつまでたっても上手くならない。
わたしのほうがだいぶオトナだ。
どんなに未熟者の母親でも
小さな頃からわたしはやっぱり愛して欲しいと思っていた。
そんな一番弱い部分を出せていなかったから、
辛かった記憶だけをぶつけても変わらなかったのだと思う。
「これからはもっと話をしましょう」
母は言った。
やっと対話することができそうだ。
何かをして欲しいと思っているわけではない。
一緒に暮らしたいとも思っていない。
ただ受け入れて欲しい。
マズローは言っている。
社会的欲求(帰属欲求)が満たされてから
尊厳欲求、自己実現欲求へと進んでいく。
尊厳欲求、自己実現欲求へと進んでいく。
わたしは飛び越えてしまっていたから少しの歪みができたのだろう。
今愛して欲しいと言えたことで
お互い向き合って母娘を確認できたら
わたしはやっと子どもになれる。
そしてもっと自由になれるしもっと強くなる。
やっとここから離れることができる。
そしたらどこへも行けるだろう。